
§4. J.N.フンメルのピアノ協奏曲:全曲解説と分析
フンメルは生涯にわたってピアノと管弦楽のための作品を残したが、正式な番号付きのピアノ協奏曲に加え、初期の作品や死後出版されたものを含めると、主要な協奏曲は以下の通りである。これらの作品を時系列と作品番号に沿って概観する。
フンメルのピアノ協奏曲一覧
1. ピアノ協奏曲 イ長調 WoO.24 (S.4)および(S.5)
1790年代後半(1795年〜1800年頃)に作曲された最初期の作品である。長らく未出版のままであり、1960年代になってようやく再発見された。S4とS.5の2曲はいずれもイ長調であるが、楽器編成は、S.4はピアノ、2オーボエ、2ホルン、弦、 S.5はピアノ、フルート、2オーボエ、2ファゴット、2ホルン、弦となり、また第二楽章は同じ曲を使用している。習作時のS.4の改訂版がS.5と言えるであろう。またS.5の方が成熟し充実した楽曲となっている。
【音楽的特徴と背景】 この作品は、モーツァルトの後期の協奏曲群、とりわけ同じイ長調で書かれた『クラリネット協奏曲 K.622』や『ピアノ協奏曲第23番 K.488』と非常に強い類似性を持っている。オーケストラの響きは極めて軽やかで透明であり、ベートーヴェンのような動機(モチーフ)を徹底的に展開して構築していくアプローチではなく、丸みを帯びた豊潤なフレーズによる旋律美で聴かせる、極めてモーツァルト的な書法が貫かれている。師匠モーツァルトから直接受け継いだ息吹を、最も純粋な形で伝える愛すべき作品である。
2. 小協奏曲(コンチェルティーノ) ト長調 Op. 73
1816年にウィーンで出版されたが、原曲は1799年に書かれた『マンドリン協奏曲 ト長調(S.28)』であり、これをピアノ向けに編曲・改作したものである。
【音楽的特徴と背景】 非常に明るく、弾むようで、風通しの良い単純明快な構成を持つ。第1楽章のAllegro moderatoから第2楽章のAndante grazioso、そして終楽章のRondoに至るまで、もしフンメルの作だと知らなければ、誰もが「モーツァルトの初期の魅力的なピアノ協奏曲」と勘違いするほど、古典的な均整美と愛らしさに満ちている。
3. ピアノとヴァイオリンのための二重協奏曲 ト長調 Op. 17
1805年頃の作曲。奇しくもベートーヴェンが画期的な『ピアノ協奏曲第4番 ト長調』を初演した時期と重なり、スタイル的にも類似が見られるがアプローチなどは全く異なっており、ここでもフンメルは古典的優雅さを追求している。
【音楽的特徴と背景】 ピアノとヴァイオリンという、モーツァルトらもあまり試みなかった珍しい独奏楽器の組み合わせを採用している。両ソリストは単に旋律を交代するだけでなく、精緻な対話とユニゾンを交替させながら、複雑なリズム・パターンを紡ぎ出す。この時期、フンメルとベートーヴェンは共にモーツァルトやハイドンの抑制された優雅さから一歩踏み出そうとしており、本作でもオーケストラのテクスチュアはより分厚くなり、トゥッティ(総奏)の打撃もよりハードで劇的なものへと進化しているものの、旋律やオーケストレーションからはモーツァルトの息吹を感じる。終楽章のコーダでは、当時のウィーン式ピアノに備わっていたペダルボードの特殊機能である「ヤニチャリ(トルコ軍楽)ストップ」を用いた打楽器的な効果も想定されているなど、新しい音響的実験の痕跡が明確に見られる。
4. ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 Op. 36 (34a)
1809年頃に出版された。ハ長調という調性が示す通り、堂々たる威厳と輝かしさを持つ作品である。
【音楽的特徴と背景】 まだ完全に初期ロマン派の陰影を帯びてはいないものの、充実した管楽器の扱いや、ピアノとオーケストラのスケールの大きな対話など、古典派協奏曲の王道を行く構築美を見せる。フンメル特有の、右手による真珠のようなスケールやトリルが随所にちりばめられており、当時のヴィルトゥオーゾとしての彼の自信が漲っている。モーツァルトの25番K.503との類似性も見て取れる。フンメルのピアノ協奏曲の中では最も長大な叙情楽章(第二楽章)をもっている。
5. ピアノ協奏曲第2番 イ短調 Op. 85
1816年に作曲され、1821年にウィーンで出版された、フンメルの名を歴史に刻んだ最高傑作の一つである。音楽史において、プロト・ロマン派(初期ロマン派)の扉を完全に開いた歴史的モニュメントとして位置づけられる。
【音楽的特徴と背景】 フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット各2に加え、ティンパニと弦五部という、当時としては非常に充実した二管編成のオーケストラを伴う。第1楽章(Allegro moderato)の重厚でメランコリックなオーケストラの前奏から、ピアノが華麗かつ劇的なパッセージで介入する様は、ロマン主義的な情念の表出である。第2楽章(ヘ長調のLarghetto)は、息の長いベルカント的な叙情に満ちており、そこからソロのトランジション(移行部)を経て、切れ目なく(アタッカで)第3楽章のロンドへと突入する構成は、非常に劇的で緊迫感がある。 またこの第一楽章冒頭はモーツァルトの20番 K.466にヒントを得たものであろうか。ベートーヴェンのピアノ協奏曲とは一線を画す方向性に向かった曲でもあり、ショパンに多大な影響を与えた。ショパンのピアノ協奏曲(特にホ短調)に見られる、憂愁を帯びた旋律と華麗なピアノ書法の融合は、このOp.85の直接的な発展形である。また、シャルル=ヴァランタン・アルカンの『室内協奏曲 イ短調』などの鍵盤語法にも、この曲からの明らかな負債が見受けられる。ロベルト・シューマンはフンメルの大半の作品に対して批判的であったが、このイ短調協奏曲群に対してだけは例外的に、その構築と技巧の完成度を高く評価し、当時のピアニストが挑戦すべき優れたショーピースであると認めていた。
6. ピアノ協奏曲第3番 ロ短調 Op. 89
1819年作曲。第2番イ短調(Op.85)と並び称されるフンメルの代表作の双璧であり、オーケストラのスケールの大きさとピアノの演奏難易度において、彼の全作品中のみならず当時の協奏曲史上の極致に達している。
【音楽的特徴と背景】 深い憂愁と悲劇性を湛えたロ短調という調性の選択、劇的でシンフォニックなオーケストレーション、そしてチェルニーやリストの超絶技巧練習曲を彷彿とさせるような強烈なダブルノート(重音)、執拗な跳躍、重厚なオクターブの連続など、もはや完全にロマン派のヴィルトゥオージティの領域に足を踏み入れている。 第1楽章の圧倒的な悲劇的緊張感、第2楽章の瞑想的な美しさ、そして第3楽章の火の出るようなロンド・フィナーレは息を呑むほどの効果を持つ。楽器編成はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、トランペット各2にホルンが4管、ティンパニに弦で、重厚感を増しているが、4管のホルンは第二楽章で非常にロマンチックなテーマで活躍する。ティンパニソロで開始される第一楽章冒頭のインパクトも大きい。ピアノパートも管弦楽伴奏も充実した協奏曲となっている。フランツ・リストが自身のパリ・デビューを飾る際にこのロ短調協奏曲を選んだという歴史的事実が、当時の若きヴィルトゥオーゾたちにとっていかにこの曲が「己の持てる全ての技巧と表現力を誇示するための究極の試金石」であったかを物語っている。
7. ピアノ協奏曲第4番 ホ長調 Op. 110
この作品は、フンメルの全8曲(または遺作を含めそれ以上)あるピアノ協奏曲の中でも、その成立の経緯と出版の戦略において特異な位置を占めている。作品番号「110」は、作曲家の晩年に近い時期を示唆する数字だが、、作曲時期はそれよりも10年以上前の様式、すなわちナポレオン戦争終結前後の「帝政様式(Empire Style)」を色濃く反映している。ウィーンはナポレオン戦争の終結に伴う「ウィーン会議」の開催により、全欧州から君主や外交官が集まり、未曾有の祝祭的ムードに包まれていた時期。「会議は踊る、されど進まず」と評されたこの歴史的瞬間に、音楽は不可欠なエンターテインメントとして機能していた時代の曲であるということ。
この協奏曲がOp.110という遅い作品番号と共に世に出たのは、それから11年後の1825年のこと。当時、ヴァイマルの宮廷楽長を務めていたフンメルは、長年の念願であったパリへの演奏旅行を敢行した。当時のパリは、王政復古(ブルボン復古王政)の下、芸術文化が再び花開いていた時期であり、ピアノ製造技術においてはエラールやプレイエルといったメーカーが革新的な楽器を次々と世に送り出していた。フンメルにとって、パリでの成功は国際的な名声を確固たるものにするための必須条件であったのだが、多忙を極めていたフンメルは、パリの一連のコンサートのために「完全に新しい」協奏曲を作曲する時間を確保できなかったと思われる。すでに絶賛されていたOp.85や89の協奏曲も演奏はできるが、パリのために新作を持ってきたという事実も必要だったのだと思われる。そこで彼が採用したのが、「過去の未出版作品の復活(resurrection)」という戦略だった。彼は1814年に作曲し、ウィーンでは演奏したものの、パリの聴衆には未知であり、かつ出版もされていなかったホ長調の協奏曲を「新作」として提示したと考えられる。
【音楽的特徴と背景】 悲劇的な短調の2曲(第2番、第3番)に比べると現代における知名度や演奏頻度はやや劣るものの、ホ長調という明るく希望に満ちた調性の中で、フンメル特有のピアニズムが存分に発揮されている。
さらに改訂する際に大幅にセンテンスを追加しかつオーケストレーションも充実させた。楽器編成はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット各2、ティンパニ、弦という二管編成にトロンボーンが追加され、シンフォニックな前奏部が展開される。ソロとオーケストラとの対話はより洗練され、ソリストに要求される流麗なコロラトゥーラ(声楽的な装飾的旋律)は、彼がいかにモーツァルトのオペラ的な歌唱法をピアノの鍵盤上で再現しようとしていたかを示している。
8. ピアノ協奏曲第5番 変イ長調 Op. 113
1827年の作。ベートーヴェンがこの世を去り、シューベルトが最晩年を迎えた時期の、フンメルの円熟を極めた時期の作品である。 オーボエを欠いたフルート、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット各2という管編成は、愁いを含んだ淡いトーンで全体を支配している。(参照⑭)
【音楽的特徴と背景】 変イ長調という暖かく豊かな響きを持つ調性により、非常に甘美で落ち着いた風格をもつ。ここでは、若き日のような前面に押し出される派手でテクニックを前面に押し出したパッセージというよりも、各管楽器(木管楽器群)とピアノとの室内楽的な繊細な対話が随所に織り込まれている。ただし、技巧的にはかなりのテクニックが求められる。オーケストラの色彩感とピアノの輝きが完全に融合した、上品で気品に満ちた大作である。
9. ピアノ協奏曲第6番 ヘ長調 Op. posth. 1
作品番号「遺作第1番(Op. posth.1)」、1833年に作曲され、フンメルの死後(1853年)にロンドンで出版された、正真正銘の「最後の協奏曲」である。 二管編成と弦にトロンボーンが厚みを増している。
【音楽的特徴と背景】 フンメルの晩年のパトロンであり、彼を擁護し続けたザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公妃マリア・パヴロヴナに献呈されている。 第1楽章(Allegro moderato)では、ゆったり目のテンポでかなり長大なオーケストラによる導入部の後、ピアノはいきなりカデンツァで登場し、極めて劇的かつ堂々とソロの部分が続く。第2楽章(Larghetto)は演奏時間6分半ほどの比較的短い緩徐楽章であるが、その中にピアノ独奏のための長大で表情豊かなカデンツァが含まれているのが大きな特徴である。そして協奏曲は、輝かしい技巧と推進力に溢れた終楽章(Allegro con brio)で華々しく幕を閉じる。 1833年のロンドン初演時には、すでにショパンやメンデルスゾーン、ベルリオーズらによるより情念的で革新的な新しいロマン派の波がヨーロッパを席巻しており、批評家からの評価は芳しくなかった。時代がフンメルの美学を追い越してしまったという歴史の残酷な皮肉を背負った作品であるが、楽曲としての構成力の高さと技巧的華やかさは決して衰えを知らない。

